夏の甲子園中止を聞き想うこと
センバツに引き続き夏の甲子園が中止となった。
かくいう私も、16年前北海道駒大苫小牧高校に籍を置く高校球児だった。
小さい頃から憧れた甲子園の舞台に立ちたくて、海を渡り親元を離れ夢を追いかけ苫小牧に進学した。
入学初日の衝撃は今でも覚えている。
100名を超える部員。
子供と大人くらい違う先輩たちの厚い身体、北海道中から集まった野球エリートの同級生。
かたや、部員15名ほどの無名の軟式野球出身で小柄な自分。
来るところを間違えた。
そう直感した。
何も知らない土地で友達なんてものは1人もおらず、野球の器量も知識も到底敵わず青森の方言しか知らなかった私は言葉も通じず、朝起きると野球を辞めることや、大きな口を叩いて田舎を出てきたのに情けない現状に自己嫌悪の毎日だった。
あれだけ大好きだった野球が心底嫌いになっていった。
家族や沢山の仲間に支えられ首の皮ひとつ繋がった状態でなんとか過ごした高校時代。
背番号を貰った時の嬉しさや在籍した3年間で毎年甲子園に行き、先輩達のおかげで甲子園の優勝も体験できた。
本当に辛く、今となってはいくらお金を積まれても同じ3年を過ごそうとは微塵も感じないが、あの時の経験は勝敗といった結果ではなく努力をした過程として今も私の生きる糧となっている。
ひとは苦労をすればするほど、得るものが大きいものだと深く感じることができた。
今の私を支えているのは、苫小牧で過ごした高校時代と永平寺の侍真寮時代と言っても決して過言ではない。
そんな素晴らしく人を大きく成長させてくれる高校時代に小さな頃からの夢を諦めざるを得ないことに、とても心が痛くなる。
どんだけいい言葉を並べられても消化できない感情が心で渦巻いていると思う。
なにかしてあげたい。
沢山のことを学んだ高校3年間に恩返しをする為、野球だけではなくコロナの影響を受けた子供たちの為なにか行動を起こそうとおもう。
高校生の皆さんの人生はまだまだ続きます。
そんなこと言われても全てを捧げ全てを懸けてきた夢を絶たれ辛い日々を送っていると思うが、前を向けるキッカケを与えてあげることが私たち大人にできることだとおもう。
君たちの積み重ねてきた努力や、未曾有の災害による夢への断念。
必ず君たちの人生にとって無駄ではない経験、財産になる。
人生において原体験ほど人の心を動かすことのできる力はないのだから。
周りを見渡せば同じ思いをしている仲間がいるでしょう。
これから先、大人になると年に一度会うか会わないかの関係になる仲間もいるでしょう。
しかし会えば、昔のことを昨日のように思い出し久しくとも、再会を果たせば深く通じ合うものがあるでしょう。
それが仲間です。
同じ釜の飯を食べ、かけがえのない時間を共有した仲間と共にこの難局をどうか乗り越えてほしい。
君たちが将来、悔しい思いをしたけれど沢山の大人が動いてくれたと思える日が訪れるよう、なにかしら自分なりの恩返しをしたいとおもいます。
院代:菊池 雄大