2011.3.11
僧侶として生きていくと決めた日
あの日から9年。
当時、大学生だった私は東京、大手町付近を走る地下鉄の車両の中にいた。
鳴り響く地震速報の後、凄まじい揺れを地下鉄の中で感じた。
ふと、近くにいたお年寄り2人を抱き寄せ地震がおさまるのを待った。
その後、東京駅まで歩き、大きなモニターに津波の映像が流れていた。
この世で起きている事とは信じれずに、只々呆然と見ていた記憶がある。
4時間かけ歩いて自宅に戻った。
その後、沢山の方の協力を経て、関西空港から函館空港に飛び、地元大間町から沢山の物資を持って車で被災地にボランティアに向かった。
宮城県古川市に入ったのは15日の夜のこと。
まだ潮が引ききってはいなかった。
不気味な暗さと静けさが広がっていた。
朝日と共に見た光景に絶句した。
自然の脅威と人の無力さを感じた。
そこから石巻、女川、南三陸、気仙沼、陸前高田、釜石と海岸沿いに沿って物資を避難所に運んだり微力ながらできることを1週間かけボランティアをして回った。
ある避難所でのこと。
泥だらけの法衣を纏った僧侶が1人1人話しを聴き被災者を励まして回っていた。
話しを聞いてみると、その僧侶も家族を失い代々守ってきたであろう寺を流されこの世に絶望を感じながらも、人々の苦しみや悲しみを少しでも取り除こうと尽力されていた。
当時大学生で、仏教の事を深く考えてもいなかった私はその光景を疑問に思った。
なぜ自分の人生を生きていくだけでも辛いのに、他人の人生の苦しみや悲しみに寄り添おうとするのだろう。
そうか。これが僧侶か。
偉い坊主より有難い坊主になれ。
と日頃、師匠から言われたことを思い出した。
純粋に有難い僧侶の存在を感じ手を合わせている自分がいた。
これが私の僧侶の出発点。
私は、あの日見た宮城、岩手の光景を忘れない。
あの独特の匂いも忘れない。
自分が見つけた沢山の亡骸を忘れない。
3.11の出来事を忘れない。
この時、見た有難い僧侶を忘れない。
そして僧侶を志した初心を忘れない。
私にできることはこの地震を風化させないことと生涯供養を務めることだとおもいます。
東日本大震災で被災されました方々へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌
院代:菊池 雄大